白狸の考現家 +図書

40手前で「読書」に目覚めた遅口です。知が凝縮された「宝物」。気付くのが遅すぎました・・・

過剰可視化社会―「見えすぎる」時代をどう生きるか

※紙媒体と電子書籍Kindle版があります。ご購入される際には十分ご注意下さい。

www.kinokuniya.co.jp

 

出版社内容情報

目に見えないウイルスの感染者数が日々「可視化」されたコロナ禍の2年間の後に残ったのは、
一人では安心感を得られず、周囲にも疑いの目を向けあう日本人の姿だった。SNSで自らプ
ライバシーを発信し、政治信条や病気・障害までを社会の視線に公開しても、最後は安易なル
ッキズム(見た目偏重)ばかりが横行する「すべてが見えてしまう社会」を、どう生き抜くのか?
歴史学者から評論家に転じた著者が、臨床心理士の東畑開人氏、哲学者/作家の千葉雅也
氏、文化人類学者の磯野真穂氏と白熱した議論を交わしつつ、人文学の方法論の壁を超えて
「見えない信頼」を取り戻す方法を提言する!
(目次より)
・情報を「見せる」ことで国民を操る権力
・過剰可視化が失わせる「身体感覚」 
・キラキラしたダイバーシティの空疎さ
・若者の「ヤバい」「エモい」に隠された不安
・現金支給という「数値化」が不公平感を招く
・病気で「タグ付け」することの是非
・ファクトよりも先に「品位」を問うべき
・「ハレとケ」を区分できないのっぺらぼうな日常

内容説明

目に見えないウイルスの感染者数が日々「可視化」されたコロナ禍の後に残ったのは、一人では安心感を得られず、周囲にも疑いの目を向けあう日本人の姿だった。SNSで自らプライバシーを発信し、政治信条や病気・障害までを社会に公開しても、最後は安易なルッキズム(見た目偏重)ばかりが横行する「すべてが見えてしまう社会」を、どう生き抜くのか?歴史学者から評論家に転じた著者が、臨床心理士の東畑開人氏、哲学者/作家の千葉雅也氏、文化人類学者の磯野真穂氏と白熱した議論を交わし、人文学の方法論の壁を超えて「見えない信頼」を取り戻す方法を提言する!

目次

第1章 社会編―日本を壊した2010年代の「視覚偏重」(ベンヤミンが描いた「ルッキズムの近代史」;コロナ危機は「実体なきシミュラークル」だったのか? ほか)
第2章 個人編―「視覚依存症」からはこうしてリハビリしよう(キラキラしたダイバーシティの空疎さ;ルッキズムを使った「LGBT擁護」は新しくない ほか)
第3章 「見える化」された心と消えない孤独―心理学との対話 東畑開人×與那覇潤(心理学は「平成の勝ち組」で歴史学は「負け組」だった?;歴史にもカウンセリングにも「物語」が不可欠 ほか)
第4章 「新たなるノーマル主義」を超克せよ―哲学/文学との対話 千葉雅也×與那覇潤(すべてを「啓蒙」し尽くすことはできない;ファクトよりも先に「品位」を問うべき ほか)
第5章 健康な「不可視の信頼」を取り戻すために―人類学との対話 磯野真穂×與那覇潤(「弱者に寄り添う」人文学者はなぜ沈黙したか;科学が進歩しても、人間の根本は変わらない ほか)

著者等紹介

那覇[ヨナハジュン]
評論家。1979年、神奈川県生まれ。2007年、東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。日本近現代史を専攻する歴史学者として著書多数。同年から15年まで地方公立大学准教授として教鞭をとった後、うつによる休職を経て17年離職、現在は在野で活動。新型コロナウイルス禍での学会の不見識に失望し、21年の『平成史―昨日の世界のすべて』(文藝春秋)を最後に歴史学者の呼称を放棄している。20年、『心を病んだらいけないの?―うつ病社会の処方箋』(斎藤環氏との共著、新潮選書)で小林秀雄賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。