白狸の考現家 +図書

40手前で「読書」に目覚めた遅口です。知が凝縮された「宝物」。気付くのが遅すぎました・・・

平安地下陶器

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www.aomori-museum.jp

www.art-it.asia

 

【特集展示】
生誕100年記念「小野忠弘 ―津軽に生まれた永遠のアヴァンギャルド」
 大正2年、青森県弘前市に生まれた小野忠弘(1913-2001)は、東京美術学校彫刻科に学んだ後、厚塗りの画面や、ガラクタのような廃品を貼り付けた立体など、絵画や彫刻といった既存のジャンルを超えた独自の表現に向かいます。素材との激しい格闘から生まれる原初的エネルギーに満ちた作品は、前衛の動向が興隆する戦後の美術界で脚光を浴び、サンパウロ・ビエンナーレやヴェネツィア・ビエンナーレといった国際展にも日本を代表する美術家として参加しました。
 「小野忠弘という美術家は、戦後の40年間前衛といわれ続けています。一度も保守であったためしがない」(※)。作家と親交のあった詩人・宗左近は、こう語っています。中央の美術界から遠のいた70年代以降も、未知の表現世界を探求し続けた小野は、美術教師として赴任した福井県の三国町に構えたアトリエで、88歳で命を落とすまで、創作の手を止めることはありませんでした。
 本展では、当館の80点を超える小野忠弘コレクションから、制作活動の展開を知ることができる代表作をセレクション。永遠のアヴァンギャルド、小野忠弘の涸れることのないエネルギーが生み出した深遠なる宇宙に誘います。
 また昨年、生誕100年をむかえたことを記念して、福井県立美術館が収蔵する貴重な初期作品等を特別出品いたします。
※宗左近「宇宙人・小野忠弘」、『小野忠弘展 』図録、福井県立美術館、1985年、13頁

小野忠弘 《砂のなみだ》 1999年 ミクストメディア 120×90×27cm

 

■小野忠弘(おの・ただひろ)
1913年青森県弘前市に生まれる。1931年青森県立工業学校(現青森県立弘前工業高等学校)を卒業。朝鮮にわたり2年間を過ごす。1933年東京美術学校彫刻科に入学(38年卒業)。在学中に洋画家・鳥海青児の知遇を得る。1942年から福井県立三国中学校(現福井県立三国高等学校)に図画担当教諭として赴任。以後、生涯三国町を制作の拠点とする。1950年自由美術家協会展に出品、会員に迎えられる(59年退会)。1957年フランスの美術批評家、ミシェル・タピエにより、「世界・現代芸術展」(ブリヂストン美術館)の参加作家に選ばれる。1959年第5回サンパウロ・ビエンナーレに彫刻を出品。1960年第30回ヴェネツィア・ビエンナーレに彫刻を出品。建畠覚造、荒川修作、篠田守男らとともに「集団現代彫刻」結成。1970年著書『平安地下陶器』(O&Nコレクション)を出版。1985年福井県立美術館で大規模な回顧展「小野忠弘展 」が開催される。2001年三国の自邸で死去。2005年ギャラリーを併設する住居兼アトリエを改修した文化施設「ONO MEMORIAL(オノメモリアル)」が開館。福井県内には小野が手がけた多くのモニュメントが残っている。

 

 

 

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