白狸の考現家 +図書

40手前で「読書」に目覚めた遅口です。知が凝縮された「宝物」。気付くのが遅すぎました・・・

伊都 古代の糸島

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 福岡市から車を走らせ西へ。西九州自動車道で糸島市に入り、左手に少し目をやると、なだらかな丘陵地が広がる。魏志倭人伝に登場する「伊都国」の王都があった地だ。三雲(みくも)・井原(いわら)遺跡は総面積約60ヘクタールに及ぶ国内最大級の集落遺跡。2年前に国史跡に指定された。古代の対外交流の中枢機能を担った伊都国の発掘成果は近年めざましい。邪馬台国につながる古代の謎が少しずつ解明されている。

 車でまず向かったのは伊都国の出土品を中心に考古資料約1万点、古文書、民俗資料など約5千点を収蔵する伊都国歴史博物館(糸島市井原)。角浩行館長(59)の案内で館内を巡った。

 やはり目玉の展示は、同館から2キロちょっと離れた平原王墓(西暦200年前後)から出土した、鏡としては日本最大の国宝「内行花文鏡(ないこうかもんきょう)」だ。超大型の銅鏡は直径約46・5センチ、重さ約8キロ。在野の考古学者、原田大六氏らによって1965年に発掘された。5枚一組の鏡はやはり大きい。「銅鏡は大陸からの輸入品をまねて倭国(わこく)でも作られたが技術的に難しかった。内行花文鏡は突如現れた精巧なデザインの大型鏡です」と角館長。

 王墓から国宝のガラス勾玉(まがたま)やメノウ管玉といった装身具が多数出ており、被葬者は女王と考えられている。館内には朱色の豪華な衣装をまとった女王のイメージ人形があり想像が膨らむ。

 同館と平原王墓の中間にあるのが三雲・井原遺跡の王墓である三雲南小路遺跡。江戸時代に発掘され、福岡藩国学者の青柳種信が記録を残した。記録と一致する文様が刻まれた貴重な銅鏡と銅剣(ともに国重要文化財)は福岡市博多区の禅寺が所蔵する。

 その北側の番上地区からは、弥生時代前期中ごろ~終末期の石すずりが見つかった。大陸系の楽浪土器も集中出土した。古代、交流を担った役所が外交文書を作成したのだろうか。もしかしたら、文字文化の黎明の地なのかもしれない。謎解きへの興味がますます湧いてきた。

 メモ 伊都国歴史博物館へはJR筑肥線波多江駅からタクシーで10分ほど。入館料は一般210円、高校生100円、小中学生・65歳以上、障害者手帳所持者(付き添い1人含む)は無料。同館=092(322)7083。平原遺跡、三雲南小路遺跡は同館から車で10分以内で回れる。便数は少ないが、コミュニティーバスの運行もある。

 

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内容説明
古代の糸島には、邪馬台国と伊都国が共存していた!陳寿はなぜ、『三国志』の外夷伝で北狄と東夷のことしか書かなかったのか。「倭人伝」に書かれた“国境”とは…。「女王」と「女王国」の書き分けの意味は…。距離を示すのに長里と短里の二つの里単位を“混用”した理由は…。陳寿の視点で「倭人伝」を読めば、真実は自ずと見えてくる。定説を疑い、文献研究から導いた邪馬台国の姿。

 

目次
「倭人伝」は読める
「韓伝」を読み解く
邪馬台国を特定する
女王と女王国
長里と短里
「倭人伝」の国々
卑弥呼の墓
金印の行方

 

著者等紹介
生野真好[ショウノマサヨシ]
1950年11月7日生まれ。1969年、大分県立大分商業高校卒業。同年4月、日立クレジット(株)(現・日立キャピタル)入社。1992年4月、退社。1994年5月、(株)フィールドリブ設立、現在に至る。九州古代史の会会員
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

 

 

 

 

 

 

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