なお、洛外の焼き物工房についての資料なので、ふと脳内で、鹿背山(かせやま)焼きのことが連関されたので、京都府相楽郡木津町(現在は加茂町などと合併し木津川市)に五摂家一條家関連の窯として開窯され明治中頃に(おそらく彦根の湖東焼と相前後して)消滅した、鹿背山焼(1872年森本助左衛門開窯というが異論もある)についての文献を紹介しておく。春田明「一條家領鹿背山焼 附・近世銅版染付史」山城ライオンズクラブ,1993.2戸田敏彦(木津町長)出版に寄せて p.002-003はしがき p.004-005目次 p.006-008鹿背山焼 (遺存品写真) p.009-032第一章 鹿背山と一條摂家領 p.033-064<茶関白一條恵観/国産奨励と一條忠良/一條忠香と鹿背山焼/明治維新と一條摂家/一條家略系図>第二章 鹿背山の歴史的風土 p.065-096<賀世山の埴土/造大仏と鋳型料土/須恵器窯跡の分布/行基伝説と里窯/木津川筋の陶土>第三章 雲洞窯と百足屋又右衛門 p.097-128<旧窯元文書の発見/神楽万平との出逢い/「銅版染付」の国産第一号/築窯と一條家領/恩人の佐吉と文助/書画家の有芳と梅斎/雲洞窯と伝世品/陶々翁と雲洞/唐物問屋と興福院/雲洞の転進と生涯>第四章 助左衛門と創始説 p.129-142<北窯と赤膚山/窯跡調査と家蔵品/家系と三代助叟>第五章 宗斎窯と田野村直入 p.143-152<平岡宗斎/田野村直入>第六章 鹿背山窯史の点描 p.153-180<上田宗品と鹿背山焼/穎川と鹿背山磁土/祥瑞伝説と鹿背山永楽/一條家御手窯の成立条件/江州茶碗山との交流/窯元系列と廃窯・復興>第七章 品種と絵付及び款識 p.181-190<陶種と器種/釉薬と絵付文様/款識>附・近世銅版染付史 p.191-226<ウィロー・パターン「比翼の皿」/銅版手の母国イギリス/銅版紅毛の日本上陸/蘭学と磁業地/発祥の京都と瀬戸/本邦銅版の系統/日本的手法の開発/近代銅版への展開>鹿背山焼関係史料・年表参考文献など p.227-244図版目録 p.245-246刊行の辞 p.247あとがき p.248面白い本ではあると思う。鹿背山焼にかかることはわからないことが多い。滋賀県の湖東焼や膳所焼に関しても判らないことが多いので貴重な資料ではある。研究の精緻さに若干問題あると思えなくもないが、参照に耐えるものと思う。明治に廃窯していった色々な窯の一例として見てみるのは一興と思う。