白狸の考現家 +図書

40手前で「読書」に目覚めた遅口です。知が凝縮された「宝物」。気付くのが遅すぎました・・・

広島・長崎 ―原子爆弾の記録

 

広島・長崎―原子爆弾の記録

広島・長崎―原子爆弾の記録

 

内容(「MARC」データベースより)

人間の想像をはるかに越えた広島・長崎の原爆被爆の惨状や、それによってもたらされた人間の悲劇を克明に記録した写真集。1984年刊普及版の新版。

 

 ┣・実際に【広島】へは一度訪れたことがありますが、【広島平和記念資料館】での展示物の多くが掲載されており、再びあの初めて見学した時の・熱く胸に込み上げてきた思いを思い起こさせて頂きました。

hpmmuseum.jp

┣・先日NHK【おはよう日本】の中で、元NHKアナウンサーの鈴木健二氏が「戦争は、ある日突然起きる」と述べられておりました。先の大戦【太平洋戦争(大東亜戦争)】でも国内に居た日本国民が戦争の本当の恐ろしさを知ったのは終戦間際の空襲などによる ほぼ1年前です。古書の旅行記などからも、その直前までは国内旅行を楽しむ輩も実際に多くおられたようです。今現在、非常にこれに近い雰囲気を私は感じております・・・ 

 

戦争と新聞: メディアはなぜ戦争を煽るのか (ちくま文庫)

戦争と新聞: メディアはなぜ戦争を煽るのか (ちくま文庫)

 
若い世代に伝えたい私の「戦争」―祖父から孫へ

若い世代に伝えたい私の「戦争」―祖父から孫へ

 

 

www.shueisha-int.co.jp

※とても参考になる指摘をされており、全文掲載させて頂きました。<(_ _)> 

ぼくたちは戦場で育った サラエボ1992─1995

ぼくたちは戦場で育った サラエボ1992─1995

 

 本日、ヤスミンコ・ハリロビッチ編著『ぼくたちは戦場で育った』が全国発売となりました。

これは今から20数年前に起きた「サラエボ包囲戦」のさなかに子ども時代を過ごした人々(つまり、今では30歳前後ですね)の、1000の記憶が詰まった本。

戦時下の子どもたちがどうやって暮らしていたのか、その1000通りの実体験が書かれた本でもあります。

かつて、サラエボが属していたユーゴスラビアという社会主義国家は「多民族共生の国」として世界のお手本とも言われていました。

カトリック、正教徒、そしてムスリムという、それぞれに違う文化伝統を持った人々がそれぞれのアイデンティティを尊重して、共存共栄していたのです。

そのユーゴスラビア社会に暗雲が漂うことになったのはソ連崩壊による冷戦の終結で、経済危機が起きたことが原因でした。

失業の増加、物資の高騰など生活苦が広まる中、ポピュリストの政治家たちはその経済問題を真正面から解決するのではなくて、「誰かのせい」にすることを選びました。

正教徒の多いセルビア地方選出の政治家たちは「わがセルビア民族はかつてトルコ帝国と闘った英雄的な民族だった。そのトルコ人の末裔であるムスリムたちなんかと一緒に暮らしたのが間違いだった」と言い出しましたし、カトリック教徒の多いクロアチアの政治家は「多数派のセルビア人たちに政治を牛耳られている現状を打破しないといけない」と言うようになりました。人々はそうした勇ましい演説に熱狂するようになりました。

いわゆるヘイト・スピーチの横行です。



とはいえ、ユーゴスラビアに住んでいる多くの人々はその一方で、宗教や歴史的背景の違う隣人たちと、昔ながらに仲良く暮らしていたのです。

そもそも宗教が違うといっても、話す言葉や文字はほとんど一緒でしたし、ユーゴスラビアの学校教育も「昔の争いはわざわざほじくり返さない」というのが方針だったのです。

http://www.shueisha-int.co.jp/archives/3507

「僕たちは戦場で育った」表紙イラスト



ユーゴスラビアの各地方が独立を宣言しだしたことは事態を急激に変えました。あちこちで軍事衝突も起きるようになります。

サラエボの人たちは事態の進展に楽観的でした。というのも、サラエボはユーゴの中でもとりわけ多民族共生がうまく行っている町という誇りがあったからです。

そんな期待を裏切るように、1992年春、サラエボはセルビア系の軍事勢力に突如として包囲されましたが、街の人々は「どうせこんな騒ぎもしばらくすれば沈静化するだろう」と思っていました。だって、サラエボにはセルビア系の人たちもたくさんいて、みんな仲良く暮らしていたからです。

サラエボの人たちはその期待が間違いであったことを知ります。朝が来るたびに街からはセルビア系の人々の姿が消えていきました。

彼らは住み慣れた町を捨て、サラエボ包囲軍のほうに身を投じ、かつての隣人を迫撃砲や狙撃銃で殺すことを選んだのです。

政治家がかき立てた憎悪に煽られて。

サラエボに残されたの苦難はそこから足かけ4年も続くことになりました。サラエボにはたくさんの市民が暮らしていました。

そこにはもちろんお年寄りもいれば、病人もいる。そして本書の書き手である小さな子どもたちもいました。

彼らはサラエボから逃げ出したくても逃げることはできません。ありの子一匹、這い出る隙間もないほど町は軍事勢力に囲まれていましたし、うかつに外を歩いていると遠くから狙撃されて殺されるかもしれません。だからみな息を潜めるようにアパートの地下室などで暮らしていたのです。

さて、そんな中で子どもたちはどんな具合に暮らしていたのでしょう。

そのことは本書のまえがきで角田光代さんがひじょうに端的に、そして簡潔に描かれています。

そのまえがきは弊社のHPで公開されている立ち読みPDFで読むことができますので、どうぞお読みください。

さあ、いよいよ『ぼくたちは戦場で育った』日本語版の発売です!(MKT)

 

 ┣・私は「備蓄」(日用品や食糧など)をしています。これは2011年の【3.11 東日本大震災】に於いて、“人々の勝手気ままな行動”(買い出し・交通渋滞)などからですが、他にも「自炊」と「徒歩」など “自力” の大切さも感じております。

┗・まずは【戦争】の前に【大震災】に見舞われる可能性の方が高そうですが、その時に国際情勢が悪化していたとしたら“攻め込まれる”侵略される場合も想定されるわけです。【国】とは「陣取り合戦」でもあるわけです。口先では「平和の時代」と言いながら、行動は「ヘイトスピーチ」(小池百合子 都知事の『関東大震災 朝鮮人犠牲者追悼式』への追悼文を拒否など)を行政を司る先人達がしています。自分でよく考えもせずに・ただ既得権益に群がる集団が「欲望」に扇動されて戦争などの過ちを犯す。こんなことの繰り返しをしている人間をみたら、やはり【AI】は “人類抹消” の道を選択しちゃうでしょうね。これは【猿の惑星】でも指摘されていた話ですけどね。(苦笑)

 

 

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